当倶楽部は個人或いは一企業の利益を目的として作られたものではありません。
昭和31年3月、当時の荒井源太郎龍ケ崎市長が地元発展のため、ゴルフ場誘
致を考えついたのが発端です。
当時の友末茨城県知事の紹介で現地を視察した井上誠一氏は、変化に富んだ地
形に魅力を感じ、「面白いですね、やりましょうか」と設計を引受けると共に
「あるがままの自然を生かしながら、きわめて変化に富んだコースに仕上げる
ことができる」と太鼓判を押されました。
「市のためになることなら」と土地所有者も協力を約束し、昭和31年4月、
市議会は満場一致でゴルフ場の誘致を議決しました。
従業員も地元採用です。また、ゴルフが知られていない時代のことですから、
「なにか物を作る会社だと思って入った」と笑い話のような話しもありました。
荒井源太郎市長
友末茨城県知事
その後、県庁で友末知事、荒井市長、井上誠一氏の3者会議がもたれ、具体的
な推進方法が検討されました。
その結果、地元出身の日本鋼管渇ヘ田社長(当時)を発起人代表とすることに
なり、友末知事、荒井市長が河田社長に面談してお願いしても、「おれはゴル
フをやらないから・・・・・・」とか「おれはゴルフは嫌いだよ」とか言って
引き受けようとはされませんでした。
しかし、37回にも及ぶ荒井市長のお願いに、とうとう河田社長も承諾されたと
言うことです。
それにしても、頼む方も頼む方だが断る方も断る方だと、今も語り草となって
おります。
そして、政・財界の重鎮を揃えた第一回発起人会が昭和32年6月開催されま
した。そして、同年11月12日には、龍ヶ崎カントリー倶楽部創立総会が開
催され、河田社長が初代理事長に就任されました。
ゴルフをされない河田理事長の哲学は「宿屋のおやじ」でした。自らはプレー
されないものの、プレーヤーの方々にサービスをつくして、楽しい一日を過ご
して貰いたいというサービス精神であり、忙しくても理事会は欠席されません
でした。
日本鋼管(株) 河田社長
歴代理事長
河田重
1958.2〜1972.2
本田弘敏
1972.2〜1981.11
槙田久生
1981.11〜1986.10
金尾實
1986.10〜1993.8
砂金俊夫
1993.8〜2003.12
酒井健三
2004.1〜2005.3
宮崎徹夫
2005.3〜